2015年4月16日木曜日
大和魂
桜の季節、最近あまり聞かれる事のなくなった「大和魂」のことなど考えてみました。「咲いた花なら散るのは覚悟」と軍歌などの勇ましいイメージ。右翼の街宣車などで大呼されては、ますます嫌われ者になってしまいそうです。
ところが「やまとだましひ」といふ言葉は源氏物語に書いてあるのが初見で、同じ意味の「やまとごころ」といふのも同時代の女官、赤染衛門の歌に出ているのが初見との事で、軍歌と平安女流文学とでは随分とイメージが違います。
江戸時代の国学者、本居宣長先生は
『しき嶋の やまとごゝろを 人とはゞ 朝日に匂う山ざくら花』
と詠みました。この「匂う」は「うるわしきよしなり」の意と伝えられています。『やまとだましい』本来の意味は『うるわしき心』という事でしょうか。
それならば平安女流文学に出てくるのも得心します。鎌倉幕府の武家社会から「いさぎよい」等、意味が変わってきたのでしょうが、それもまた『やまとだましい』の一面に違いはないでしょう。
『うるわしき』の言葉は大変古いようで、日本紀に天照大御神の御姿を「ミヒカリうるはしく」とあり、古事記には日本武尊が死の間際、
『大和は 国のまほろば たたなずく 青垣 山こもれる 大和しうるはし』
と詠っています。
「うるはし」や「まほろば」などの古語には、不思議な懐かしさを感じます。
東北大震災の時、秩序を保ち、他の人の事をおもんばかる日本人の行動は世界中から賞賛されましたが、その姿は『うるわしき心』『やまとごころ』であったと思います。
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