2014年9月20日土曜日

由布岳の事を考えてみた。

 由布岳は古くは木棉峰(ゆふのみね)と呼ばれ嘉字(めでたい文字で表記)により柚富峰(ゆふのみね)と記された。豊後風土記には栲(たく)の樹が多く木棉(ゆふ、古代の和紙)を産したので柚富郷(ゆふのさと)、柚富峰と呼ぶとある。

 大分市の郷土史家加藤貞弘氏はユは「聖なる地、祭り場のある処」、フは接尾語で「~があるところ」で聖なるものがある処、神聖な雰囲気の漂う地、という意味であり聖なるものとは由布嶽であると述べている。

 神事を執りおこなう祭場をユ(齋)ニワ(庭)といい、神への捧げ物や依代(よりしろ)としても用いられる御幣(ごへい)は古代は木棉が使われていた。そしてユフはユウでありムスビである。髪を結う(ゆう)と云い、帯を結ぶ(むすぶ)と云う。ムスビは日本古来から万物を生み育てる霊力と考えられた。また帯を結ぶことによって結界を作り身を守る禁厭(まじない)とされ、旅立つ人を松ヶ枝を結び無事を祈る禁厭ともされた。万葉集では恋唄などに帯や松ヶ枝を結ぶ和歌が多く歌われている。時代劇で御内儀が主人の帯をギュッと締めて送り出すシーンはその名残であるかもしれない。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿