2014年12月25日木曜日

冬は鹿の季節

庭を鹿が横切って行きます。

最近は人間にも慣れてきて、直ぐには逃げません。

どうせなら、もっとなつくと、観光資源になるのでは?

などと思ったりもします。

近所の別荘です。なんだか北欧の風景みたいです。

 

2014年12月19日金曜日

寒い日が続きました

寒い日が続きましたが、やっと寒波が去ったようです。
とは言え今朝は放射冷却でマイナス10度、北海道並みです。


上の写真、白い点々は雪です(*^^)v

なかなか良い感じで積もりました。




道路は凍結していません。

2014年12月10日水曜日

グァテマラ/アルコイリス農園


今週のおすすめコーヒー、グァテマラ、アルコイリス農園。
標高の高さや土壌、雨等環境に恵まれているため無農薬栽培を実現しているコーヒー農園です。
また自然の涌き水を利用した水洗処理を実施し、100%天日乾燥。
例によって、やや深めの焙煎に仕上げています。



グァテマラ・アルコイリス農園 ¥500


自家製のチーズケーキセットもお勧め。


チーズケーキセット ¥800

2014年11月26日水曜日

国東半島、富貴寺

大分県の国東半島、瀬戸内海の西端に蛸の頭のように突き出た半島です。

古代宇佐神宮と比叡山、修験道の混合した独自の仏教文化を生み出しました。

富貴寺の大堂(おおどう)は岡山県以西で現存する最古の木造建築で国宝に指定されています。

また本尊の阿弥陀如来は宇治平等院の阿弥陀仏と同じ様式で作られており重要文化財です。

この季節、境内に聳える銀杏の落ち葉が、大堂の周りを黄色い絨毯となって敷き詰めます。

そんな風景を求めて富貴寺へ出かけたのですが、銀杏は黄色く染まっていたのですが、落葉(らくよう)には少し早すぎたようです。それでも紅葉は盛りで、その眺めに、しばし時の流れを忘れました。



富貴寺へ向かう途中。

 

水鳥が遊んでいました。
途中、元宮の石仏が。
富貴寺の駐車場。ワァ、団体さんが!
 
山門の仁王像
 
階段を登って行くと大堂の屋根が見えてきました。
 
なんとなくアバンチュール
 
国宝の大堂
屋根越しの紅葉も見事です。
境内の紅葉
 

 

 

 

 

2014年11月21日金曜日

来週は岡城の紅葉が見頃だそうです

紅葉狩りに中津市の耶馬溪へ行ってきました。今年は夏から秋へかけて長雨だったせいかイマイチの色づきです。
紅葉情報では今週末から来週にかけては竹田市の岡城が見頃といっていました。

岡城といえば唱歌「荒城の月」ですね。
荒城の月の作曲家、瀧廉太郎は高等小学校の最後の二年間をこの岡城の麓、竹田市ですごしました。
滝廉太郎はこの岡城をイメージして作曲したと言われています。
ちなみに作詞は土井晩翠で青葉城跡で古を忍び作詞したそうです。

信じられないことですが十年ほど前に音楽の教科書から荒城の月が無くなりかけました。
歌詞が難しい、古くさい、曲が単調といった理由ですが、おかしな話です。
地元の働きかけ等で、辛うじて三社の教科書に残っているだけだそうです。
この名曲が多くの教科書に復帰して、子供たちの情操教育に役立つ日を心から望んでいます。

クラッシック奏者からジャズ奏者、ボーカリストまで多くの音楽家が演奏していますが色々と聞き比べてみるのも楽しいです。


四年前に岡城に行った時の写真です。




















 

2014年11月1日土曜日

今月のスペシャルコーヒー、モカマタリ、クラシックモカ

コーヒーと言えば「モカ」、「モカ」と言えばコーヒー。
コーヒーの代名詞モカには、二カ所の産地があります。
一つはエチオピア、そしてもう一つは「モカ」の発祥地イエメンです。





紅海に面したイエメンの小さな港町のモカ港から初めてコーヒーが出荷されたのは1628年の事です。以来モカの名称で親しまれ、世界中で栽培されるコーヒーのルーツとなりました。

標高1000メートルから3000メートルの山岳地帯の急峻な段々畑や涸れ谷で零細農家によって自給用のキビや野菜などと一緒に植えられています。

クラッシックモカは中部山岳地帯で栽培される原生種で素朴ながらも高貴な味わいのコーヒーです。
収穫されたコーヒー豆は二週間ほど天日乾燥された後、袋詰めにされ保管されます。

今回は深めの煎り具合ながらもモカの特徴である酸味と甘みを香ばしく残した焙煎に仕上げました。
山猫軒ではストレートコーヒーはネルドリップで点てています。ネル点てならではの味わいをお楽しみ下さい。

2014年10月31日金曜日

10月31日金曜日は、臨時休業です

申しわけあるませんが、10月31日金曜日は臨時休業させて頂きます。


2014年10月28日火曜日

マイク・ザ・バイク


 「ドカティがどかどかと来た」で書いたマイク.ヘィルウッドは1940年イングランド生まれ。1960年代のモーターサイクル世界グランプリのスーパースターである。
ホンダに乗り、この時代の日本車黄金時代の立役者である。

 125、250、350、500ccのクラスで多くのタイトルを獲得し、マイク・ザ・バイクと讃えられた。
1981年、40歳の若さで交通事故により死去、原因は相手トラックの一方的な過失だった。

 下のイラストは1966年東ドイツグランプリ250ccのものである。
マシンはホンダRC166、空冷6気筒250cc。
この日、350ccと500ccにも出場し、勝利をおさめている。

1966年東ドイツGP250ccのM・ヘィルウッド

ホンダRC166

2014年10月27日月曜日

ドカドカドカとドカティがやって来た


二時をまわり、ランチタイムのお客様も帰られた。
そろそろ昼食にしようかと思っていたらバイクの音が。
外を眺めると生垣の向こうから黒っぽいバイクが駐車場へ入って来る。
バイクを降りてやって来たのは古い友人だった。
旧車をレストアしたのでお披露目に来たようだ。正確には、まだレストア中だが。

ドカティ900SS、1979~1985年発売、30年程前のイタリアのバイク。
往年の名ライダー、マイク・ヘィルウッドが四輪を引退した後の1978年、マン島TTにドカティで出場し優勝とタイムレコードを樹立した。
その記念に発売されたマイク・ヘィルウッド・レプリカと同系統のエンジン、デスモドロミックL型二気筒900ccを積む。
ドカティ900SSの勇壮と排気音はまさにイタリアの情熱である。
しばしバイク談義の後、友人は爆音を響かせて帰って行った。

時計を見ると四時前、大急ぎで昼食の用意だ。
メニューは当然イタリアン、といってもピッツァだが。辛口のロッソを一杯つけて。




2014年10月20日月曜日

梅鉢草

梅鉢草が咲く頃だと飛石岳まで散歩に。防火帯を二十分程登ると咲いていました。

 

2014年10月9日木曜日

コゲラ


庭仕事をしていたらコンコンコンと木をつつく音が。
見上げると桜の幹にコゲラが二匹。
つがいかな?




2014年9月25日木曜日

由布岳の事を考えてみた-3

由布岳の開山は性空上人(しょうくうしょうにん)とされている。性空上人は平安時代中期の人で敏達(びたつ)天皇の血を引く橘諸兄(たちばなのもろえ)を先祖にもつ名門に生まれた。橘諸兄は奈良時代の人で正一位、左大臣にまで登り詰め、東大寺大仏建立にも大きく関わった。


性空上人は幼少より仏縁があったが家門のため出家は遅く三十六才の時であった。天台宗慈恵大師に師事して後、日向国霧島山や筑前国背振山で三十年修行し播磨国書写山に西国三十三所霊場の一つ圓教寺を開いた。 

九州の山には性空上人開山の伝承が多く残されているが由布岳もその一つである。


上人は由布岳山頂の岩窟で一千日の行を行った。 満願を迎えたとき由布岳が大音響で法華教を唱えた。上人は鳴動する岩で観音像を刻み山腹の大岩の上に祀った。その岩を観音岩という。


慶長元年(千五百九十六年)豊後を大地震が襲った。慶長豊後地震とよばれ、由布院では由布岳裾野の小山が崩壊して一集落が壊滅するほどの災害であったという。


地震のあった夜、一人の村人が由布岳の山腹に光るものをみた。翌朝光っていた所へ登ってみると観音像が転がり落ちていた。村に持ち帰り麓の寺に祀られた。それが仏山寺の秘仏として祀られている観音像である。


上記、由布岳開山の話は若い頃に読んだ本の記憶で、その本の題名も憶えていない不確かなものである。 仏山寺のホームページには以下のように紹介されている。


佛山寺の歴史
 今より約一千年前の一条天皇の御代、性空上人、九州巡錫中霧島神社に参籠するに御神宣あり、その御つげによって由布岳の山腹にて誦経したらば、「具一切功徳慈眼視衆生」(観音経の一説)と鳴動する岩あり。
その岩にて観音像を刻して祀ったのが始めと伝えられる。以来、全盛時には由布院内に末寺十数ヶ寺を有する由布の修行霊場の本拠地とされてきたが慶長元年の大地震により打撃を被ったため麓の地(現在の地)に伽藍を移し、新たに臨済宗妙心寺派(禅宗)の寺院として再出発した。
 性空上人の刻した由布霊山観世音菩薩は今も観音堂に安置され、秘仏として三十三年に一度ご開帳される。


鹿児島霧島神宮のはずれにある性空上人墓所

 

2014年9月23日火曜日

由布岳の事を考えてみた-2

 湯布院町の郷土史家、志手駒男氏は五万分の一地図をもとに地形を調べて由布山が一番遠くから見られるのはどこか調べてみたら山口県の光市だったという。由布山は豊後富士とも筑紫富士とも呼ばれる。この何々富士と呼ばれる山は全国にあるが、中には富士山と似ていない山容のものもある。これは目印になる、また象徴性のある山、特別な山もそう呼ばれた為であるが由布岳はきれいなピラミッド型である。

 私は実際に光市の田布施町にある標高三百メートルほどの石城山の山頂から由布山を見たことがある。その時は瀬戸内海の大三島、宮島、四国の石鎚山、九州の国東半島、その向こうに由布岳、鶴見岳という壮大な眺めであった。


由布岳(左)と鶴見岳(右) 由布市廻間町より

 

2014年9月20日土曜日

由布岳の事を考えてみた。

 由布岳は古くは木棉峰(ゆふのみね)と呼ばれ嘉字(めでたい文字で表記)により柚富峰(ゆふのみね)と記された。豊後風土記には栲(たく)の樹が多く木棉(ゆふ、古代の和紙)を産したので柚富郷(ゆふのさと)、柚富峰と呼ぶとある。

 大分市の郷土史家加藤貞弘氏はユは「聖なる地、祭り場のある処」、フは接尾語で「~があるところ」で聖なるものがある処、神聖な雰囲気の漂う地、という意味であり聖なるものとは由布嶽であると述べている。

 神事を執りおこなう祭場をユ(齋)ニワ(庭)といい、神への捧げ物や依代(よりしろ)としても用いられる御幣(ごへい)は古代は木棉が使われていた。そしてユフはユウでありムスビである。髪を結う(ゆう)と云い、帯を結ぶ(むすぶ)と云う。ムスビは日本古来から万物を生み育てる霊力と考えられた。また帯を結ぶことによって結界を作り身を守る禁厭(まじない)とされ、旅立つ人を松ヶ枝を結び無事を祈る禁厭ともされた。万葉集では恋唄などに帯や松ヶ枝を結ぶ和歌が多く歌われている。時代劇で御内儀が主人の帯をギュッと締めて送り出すシーンはその名残であるかもしれない。